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メール・マガジン
「FNサービス 問題解決おたすけマン」
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★第081号 ’01−03−02★
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何と象徴的!
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JALのニアミス事件では、幸い死者は出ずに済み
ました。 が、今後のため、これを機に、徹底的な
対策が講じられる必要が、、 と言う間もなく、
<えひめ丸>事件発生。 <JAL>はたちまち、
マスコミ報道の対象ではなくなってしまいました。
100%相手方の過失。 理不尽にも命を奪われた
えひめ丸の9人の方々とそのご遺族に心からご同情
申し上げる次第です。 しかし、それとは別、
実際的に考えるなら、<ニアミス>の方が発生確率
は遙かに高く、事故が生じた場合の災厄の大きさも
また巨大。 各種対策が必要だし、効果もあるはず。
たまたま起きたより不幸な事件へ世間の目が移るの
は人情としてやむを得ませんが、TVも新聞もみな
そればかりになってしまうのはいかがなものか?
たとえばあなたの<今後>。 船旅なさいますか?
そして、その船が潜水艦に衝突される確率は?
それに比べたら、ヒコーキに乗る可能性や、それが
ニアミスに遭遇する確率は、ずっと高いに違いない。
*
事柄の重みより、<情緒>で注意が逸れてしまう、、
ジャーナリズムなきセンセーショナリズム。 我が
国民性の反映というべく、事態の推移は象徴的です。
あなたの周辺にも、もっと掘り下げて
Rational に対処しておくことが必要なのに、後から起きたより
刺激的な事件のために影が薄れてしまっている、、
というような問題、転がっているのではないかな?
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●えひめ丸遭難の知らせが
ゴルフ場でプレー中の森総理に届けられた時、それはすでに行方不明者の
発生を伝えるものであったと申します。 海難で<行方不明>と言えば、
命永らえる可能性はきわめて低い、と覚悟しなくてはならない。
それがたとえば彼の息子に降りかかった災難の知らせだったら、果たして
「私がバタバタしても仕方ない。 プレー続行!」であり得たか、どうか。
「人の命は地球より重い」という奇怪な論理で国際的非常識を敢えてした
前科のある我が国、むしろバタバタした方が<常識的>だった。 が、
冷静に<遊び>続けた彼、日本的には非常識でした。 与党にも見放され
たのがその証明。 「日本の非常識は世界の常識」と言うが、それなら
彼の行動、グローバル・スタンダードでは<常識>的だったのかしら?
*
もし、たとえば三浦半島の沖合僅かの海上で、我が自衛隊の潜水艦が無謀
にも急浮上し、アメリカ少年たちの練習航海船に衝突、これを沈めた、、
なんていう情報が、その時ゴルフを楽しんでいた米大統領に届けられたら
どういうことになるのだろう? 「楽しみ続ける」だろうか?
そんなことアチラのマスコミも許すまいし、政治家もことさら世論に敏感。
たとえ過剰演技でも、ただちに日本国の正式陳謝や徹底捜索を求める声明
を発表するのではあるまいか。 要求できる、となったらアチラ風は
遠慮会釈なし。 不幸にも<青ナンバーの車>にぶつけてしまった人の
話、聞いたことありませんか? モノスゴイ勢いで迫られるんだから、、
それがアチラの常識。
ブッシュ大統領は事故発生時はキャンプ・デービッドの別荘、16日
以降はテキサスで休暇、悠々たるものでした。 ぶつけても自分から
は謝らない、というアチラ風<交通事故加害者>常識の実践、かも。
* *
とすると、、、 <総理の常識>は、いったい<どこの常識>なのかね?
これが配信される時は、もう<前総理>になっているかも知れない。
が、ご存知の通り、このメルマガは初めから<速報性>を重視して
おりませんので、その点ご了承下さい。
さすがに<どこ>でも通用しないこと歴然、このままじゃ選挙は負ける。
そりゃ困る、退陣させにゃ、、 で、間もなく、となる模様。 しかし、
次を誰に? でまた困る。 それがアッサリ決まるくらいなら、彼を
それにすることも無くて済んでいたはず、なのだから。 しかし、
退陣のニュースでいきなり株価250円アップ、とはまたブラックな話。
その座を去ることが「究極の株価対策」、と言われる人をトップに頂く、、
ダメ会社の話みたいですが、彼は国のトップ。 まことに象徴的です。
この執筆の2月17日現在、未だ我々はブツブツ言いながら彼を<頂い
て>いる。 我々自身が彼を選んだわけではないが、我々が選んだ人
たちが彼を選んだ、あるいは彼が選ばれるのを阻止できなかった、、
それは我が国の<民主主義>が本来の機能を発揮していないことの象徴。
<資本主義>や<株式会社>、ついでに言えば<勉強>や<教養>も、
すべて似て非なるものでしかないこの国、<民主主義>だけホンモノで
あるわけが無い。 なら、我々の<常識>もまた、、、
森総理の存在が、挙動が、そのまま<日本の象徴>に見えて来ます。
* * *
為政者の質は即ち国民の質の反映、愚痴は言えません。 言って行く
先もありませんし、ね。 警察も、裁判官も、病院も学校も、、
論理や道徳や秩序や規律で成り立つはずのものがみなオカシクなって
いて、今は何を頼りにすることも出来そうにありません。 思うに、
警察トップの令嬢が裁判官夫人ストーカーに殺害されるとか、病院長
の息子が点滴で殺されるとか、校長の孫がイジメで自殺するとか
いう事件、つまり<しかるべき立場>の人たち自身に心の痛みを感じ
させる事態が生じない限り、彼らは本気で本来の職責を果たさない、、
そんな国に、我が日本は成り下がってしまっているんですな。
<犯罪被害者の会>代表幹事岡村弁護士も、奥様を殺害されるという
悲運から「初めて被害者やその家族の痛みを知った」と述懐された。
悲しいけれど、人間。 その期に及ぶまでは想像がつかないのです。
みんなひとごと。 「他人の痛みは三年でも、、」と言う。 なら、
地位に安住している連中に悲しみを味わせてやらなきゃ、、とすら
思われる。 TV番組で、テロの発生を懸念している人がいました。
「現体制を破壊せよ!」と喚く過激な人々が昔、本当にいたのです。
当時は無茶で愚かな考えとしか思えませんでしたが、どうやら今に
なって、同様の凶暴な気分に私も傾きつつある、と気付きます。
我が総理的<現体制>は間もなく<破壊>されるでしょうけれども、
彼が象徴となったマヤカシ日本が、それで急に良くなるわけも無し、、
* * * *
評論家の言を借りれば、「資質以上に、自覚の欠如が問題」の彼。
総理になった経緯はともかく、なったからにはそれなりの、、が
あってしかるべきところ、言動の一々がその<欠如>を裏付けた、、
しかしこれ、<ひとごと>でしょうかね?
経済大国とやらになるまでの経緯はともかく、なったからにはそれ
なりの、、 が無かったがために、バッシングからナッシングへ。
我々自身、国を挙げて<欠如>を演じてきたのではなかったかな。
森氏を嗤えません。 彼はまさに<我々>を象徴的に演じてくれた
のだ、と私は感じるのですが、あなたはどうご覧になりますか?
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●だいたいゴルフという遊び、
そんなに面白い、あるいは大切なもの、なんでしょうかね?
少なくとも彼にはそうであった、らしい。 たかがゴルフ、と私は
思うが、されどゴルフ、の人は少なくない。 彼もその一人。
国会開会中、予算審議中、「そもそも行くべきでなかった」という
官房長官の嘆きも、自粛を進言して無視された不満か。 言外に
「私を同じに見ないでくれ」と滲ませるかのよう。 記者会見で
バラしたところに、周辺も彼を見放していることが窺われます。
<すべきこと>より<したいこと>をするおエラは少なくない。
それを国のトップが、、 よくぞ象徴的に演じてくれました。
ご本尊いわく「プライベート!」。 そのせいか秘書官も同行せず、
それが連絡の不手際、さらに対応の遅れにもつながったという。
なのに「するべきことはキチッと、、」と国会では弁明。 小生の
知る限り「キチッと、、」なる表現を用いる人は、まず、いい加減。
「問題の解をキチッと出します」が口癖のEM法講師もいたが、
常に結果はその反対。 技法自体はキチッとしたものなのです
が、活用には人柄が反映します。 切れるハサミも使い手次第。
*
プレー映像の森氏、「好きこそものの上手」には見えない。 その
ゴルフ歴の長さで<18>とは、<資質>に疑いあり。 まあ、
「下手の横好き」レベル。 「下手なくせに好きで熱心なこと」と
辞典は言い、続けて「こういう人に悪い人物はいないようである」
とも。 ますます象徴的ですね、彼は、、
たしかに<悪いヤツ>ではないらしい。 だから、だろう、仲間に
推されて総理にまでなれた、、 <そんな程度の人>がなって良い
身の上、とは思えませんが、ね。 従って、
悪いのは<仲間>や<推す仕組み>ですね。 その<悪さ>加減を
見事に象徴してくれたのが彼。 退場の際、ついでに旧体制の幕
も引いてくれると良いのだが、、
* *
ゴルフ自体はニュートラル、良いも悪いもありません。 田中角栄
は滅法早打ち、午前ひと回りで執務に影響させなかったと言います。
群れて遊ぶゴルフ、ではなかったようです。 実は私も。
しかし昭和30年代、顧客各社の<協力会>でコンペに参加したり。
やがてそこで知ったのは、<群れて>交わす話の低次元。 コース
の待ち時間が苦痛になりました。 全く中小企業の
オヤジ連と来たら、ひとより少しマシな儲けを得、少しマシな車に
乗り、少しマシな酒を少しマシなバーで呑み、少しマシな女の腰に
手を回す、、 くらいを喜びとする人生観。 呆れました。
加えてゴルフをしない我が相棒が言う。 ゴルフで仕事がもらえる
なら、あんたよりゴルフのうまい商売仇が現れた時はオシマイだね。
なるほど。 彼の麻雀と違い、私のゴルフ、常勝不敗ではなかった。
以後、製品で勝負することに専念、<群れ>からは一切離れました。
ケイレツ寸断の今、<協力会>なんてものも無くなったでしょうが、
かつて高度成長期、ゴルフ場の眺めはまさに<活力の象徴>でした。
* * *
それは未だ成田空港が無く、国際線も羽田へ降りていた頃、低空で
房総半島を横切る。 すると眼下の丘陵見渡す限り、相互に入り
組んだゴルフ・コース、またゴルフ・コース。 そりゃもう、
ビョーキ! の眺め。 何時間飛んでもゴルフ場なんか見えない国
から帰っていきなりの<不自然の象徴>的光景は、ショックでした。
猫も杓子も、のスポーツじゃ本来なかろう。 自分の家の中、いや
少なくとも自分の敷地の中でクラブを振り回すことも出来ない人が
やるもんじゃあるまい。 自宅前の道ばたで、車や歩行者を気に
しつつ、スイングの練習をしている人、、 ワビシイねえ、、
キミ、そんなのゴルフとは言わんのよ。 タマを打って、落ちて、
転がって、止まるところまで見届けなくちゃ、分からないんだから。
しかしコースは遠い、道路は渋滞。 着けばグリーンの上でも渋滞
だし、「1日1ドル」ではない、、 それでも<芝のようなもの>
の上で<ゴルフのようなもの>、是非やりたい、ですか? の感。
森氏が便宜供与された<名門コース>の芝は本場並みなのでしょう
が、貢がせて遊ぶ特権的ゴルフ、とはいかにも日本の象徴、でした。
チョコレートだ、ニギリだ、と品が無いのも日本的、象徴的。
そのゴルフが命取りで退陣必至。 好きなゴルフと心中なら、本望
でしょう。 道楽に熱中して本業ないがしろ、経営倫理の疑わしい
トップはどこにもいますが、それを彼が象徴的に演じてくれたわけ。
* * * *
ゴルフ結構、バタバタしないのも立派、だが、それによってどんな
WANT が満たされるのか、その
WANT は妥当なのか、その WANT を満たす手段としてそれは最適なのか、それがどんなマイナス影響を
もたらし得るか、などなど
立場が立場、場面が場面なら、ひと呼吸、アタマを働かせるべきで
しょうが、森氏はそうなさらなかった(ように見えた)。
いや、<友人たちに失礼にならない>という
WANT の重みが大きく、<遭難者の助けになる>などが霞んでしまった、のかも。 つまり
カタヨリ、ヌケ・モレがあって、バランスを欠いた判断。 もし、
それら抜きで「プレー続行!」を決意したのなら、潜在的問題分析
PPAで、それが首尾良く全うされるように手を打つべきでした。
彼にはそれも無かった(ように見えます)。 全然考えない人?
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トップに立つ者は時に沈思黙考すべきだと言われますが、実行する
人は少ない。 彼はそれをも象徴的に演じました。 これからは
その時間が十分持てるはずなので、いつか<考える>人に変身して
復活するかも知れない。 実現したら、それこそ象徴的変化ですな。
ところで、あなたの沈思黙考、ただ<考える>のでなく、あらゆる
コンテンツを適切に整理し、吟味し直す、、 ような具体性作業で
あるべき、、
従って半眼の結跏趺坐というわけには行かない。 まずワーク・
シートで要素に分解し、次に統合し、判断を導き出す、、、
結局お奨めは
Rational Process 方式!■竹島元一■
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